【奇跡が起こった】試験の思い出、初めての交通事故体験
どうも、花粉が活性化しはじめてもうやってられない気分。避野です。
今週のお題「試験の思い出」ということで何かあったなかなぁと考えていたのですがやれ男女で一緒に試験勉強しただとか、図書室で勉強してる時になんか集中できなくて盛り上がって静かにって注意されたり、試験直前になって赤点回避するために友人の家に集まって勉強会したり…
したい人生だった。
しかしそんな幻想はありません。私の中で試験のエピソードと密接に結びつくのは交通事故なのです。悲しいことに。
この話はまぁまぁ奇跡的というか、いろいろな偶然が絡み合って起こってしまった出来事です。キーワードは『試験勉強』『雨』『自転車』
少々長いお話になるのでお付き合いください。
あれは高校2年生の5月くらいでした。
私、調理を勉強する学科のある高校に通っておりまして、その学校では一年時は調理の基礎、二年次には日本食、洋食、調理の応用、のように発展して授業を行っておりました。
忘れもしません。2年生になってゴールデンウィークも開けたある日、あの日は火曜日だった。
その日、私たちは日本料理の授業で鯵の三枚おろしをすることになっていました。
一学期中間試験を控えて座学授業は試験の話や対策ばかりになっていきます。しかし調理の高校というのは座学だけではありません。
実技試験があります。その一つ日本料理の実技試験が鯵の三枚おろしだったのです。
2年に上がり、基礎から授業はより応用や技術的なものになっていきます。一学期最初の日本料理は包丁の使い方野菜編と魚編に別れて進行していきました。包丁もよくある文化包丁のようなものから菜切包丁と出刃包丁をたくさん使うようになります。
日本料理の包丁というのは片刃のものがほとんどでなかなか使用感にクセがあります。まっすぐ切っているようでも斜めになってしまったり、それを理解して方向や動きをマスターしないと使いこなせない包丁なのです。
さて、そんな実技試験に向けて私たちは練習をします。その日の三枚おろしは試験直前の最後の授業、先生に見てもらいながら指導をしてもらい後は家で練習するしかないそんな状況でした。
しかしその授業に私の姿はありません。その日の前の土日、かなりの雨が降りました。その影響で部活の大会が延期になってしまったのです。それが火曜に延期したせいで私は授業に出られず、公欠扱いで部の大会に赴いていました。
3年生は最後の大会。普段ちゃらけた姿の先輩でも流石に真剣になる最後の大会。私たちは応援のために会場にいたのです。しかし大会の当日もあまり天候には恵まれず小雨が降ったり止んだりしていました。
延期の延期というのはなかなか行われないもの。小雨程度でしたので大会はやや遅れて行われることになりました。
結果は残念ながら敗退。初戦二回戦と勝ち進んだものの昼を挟んで午後、3回戦にて私たちの春の大会は幕を閉じました。
大会が終わり先輩方から後輩の私たちに激励の言葉があってから、解散となりました。
時間は15時くらいだったでしょうか、帰路私の足は母校に向かっていました。
というのもこの日の朝、天候の影響もあり大会の開かれた場所ではなく一度母校に集合して開催が決定してから移動したのです。
家から一度高校まで自転車で行き、そこから駅に向かい、会場へと。
なので私はその朝、日本料理担当の先生に交渉しておきました。
「鯵は買ってあるのなら大会が終わった後練習させてもらえませんか?」と
熱心な生徒に教員というのは反対しませんから、快く受け入れてくれました。ありがとう当時の先生。今となってはそれが先生の残業になっているなんてすごく申し訳ないことですね。
何はともあれ、大会が終わり先輩は打ち上げに、同期は帰宅といった感じの雰囲気で舌が私は学校に向かいました。
最寄駅に着き、自転車で学校に着いた頃には17時ごろ。天候も相まって薄暗い空。急足で鯵を3枚に下ろすべく準備をします。
白衣に着替え、包丁を取り出し。まな板を濡らし、鯵を洗い、布巾で水分を拭き取ります。
鱗をおとし、ぜいごを切る。エラを取り出し、内臓を腹から取り出す。
頭を落として上身から、腹に切れ込み、背に切れ込み、尻尾側の身と背骨の間に穴を開けて包丁を反転、尾から頭側に向かって下ろす。
次は逆。身が取れた側を下にして同じく腹側に切れ込み、次は背、尾側に穴を開け反転、下ろす。
これを3尾。一匹一匹丁寧に、おろした身がボロボロでないこと、身が残らないように下ろすことが目標。
気になる方は読み終わった後ぜひYouTubeで見てみて実践してみてください。魚下ろせると楽しいですよ。
そうして鯵をおろし終わり、片付けをして帰宅準備、その時試験勉強で学校に残っていたクラスメイトと談笑しながら帰宅しようとしました。
そのクラスメイトは当時怪我で自転車に乗れずバスで帰宅するようでした。
ですので私はバスが来るまでバス停でしゃべることにしたのです。
すると雨が降り始めました。ずっと天候が悪かったのでカッパを持っていた私はカッパを着ます。自転車ですから、傘刺し、ダメ絶対。
バスに乗った友人を見送り、私も帰ります。
この後交通事故に合うとも知らずに…
私の帰路には信号も横断歩道も無いのに車の交通量が多い産業道路がありました。
そこを渡ろうと交差点で待っていた時です。
私がいる方向に曲がってこようとした車が停止しました。
私は自分がこの車にとって邪魔なのだと判断し、車も来ていなかったため交差点を横断しました。
その時です。
途轍もない衝撃が私の左側に走りました。
地面が濡れていたせいかザアッっと自転車ごと真横4メートルほど吹き飛ばされ、私は道路のど真ん中に横たわりました。
何があったのかも理解できないまま私は起き上がり、強烈な衝撃を受けた左腕を押さえて歩道の方へ向かいました。
当時その交差点の角には中華料理屋さんがあり、その中からおばちゃんが心配そうに出てきてくれました。
そして誰かわからないけどおじさんも近寄ってきて
「今の君は悪く無い!」
って言ってくれました。その人はどうやら僕が道路を渡るきっかけになった曲がる車の運転をしていた方だったようです。そのうち私をはねた運転手の方も車を降りてきてくれて救急車と警察を呼んでくれました。
あまりの出来事に私は気が動転したのかどうもふわふわとしてしまい、いろんな人に声をかけてもらったのに空返事しかできませんでした。
救急車のサイレンが聞こえてきた時、ようやく落ち着いてきて、でもなんかふわふわしていてと言った具合になっている最中、救急隊員の方に家族に連絡しなさいと言われました。
そういえば何も誰にも連絡してなかった。そして早速連絡することに。
私「もしもしあの〜」
姉「あ?どした」
私「事故っちゃって」
姉「はぁ!?!?どういうこと!?」
私「(場所)で車に跳ねられちゃってさぁ」
姉「何言ってんの???」
確かに今思えば意味わからないですよね。跳ねられたんだけどって連絡が本人から来るんですから。電話越しの姉は事故にあった私よりテンパってました。
ちなみにこの電話は母の携帯にかけて姉が出ました。
その後救急車の中でしっかりと外傷等が無いか確認をすることに、しかしなんと無傷だったのですよこれが。
乗っていた自転車のペダルが車に最初にぶつかったらしく衝撃は自転車が肩代わりしてくれたようです。後に見た自転車のペダルは車体に食い込んでもう回らない状態になっていました。
救急隊員の方に痛いところとか動かないところある?と聞かれましたが痛みはあまりなく、左腕が痛いような〜と言いながらブンブン回してました。
初めて乗った救急車は案外広いなという印象でしたね。ベットではなく脇に座って話をしてましけど、十分スペースがありました。
そうしている間に家族が駆けつけ警察や救急、事故を起こした運転手やその他周辺の方と話していたようです。
姉が私の顔を見るなり泣き出してしまい驚いたのも束の間、近くの病院で念の為レントゲンや検査をすることになりそのまま救急車で搬送されることに。
その時なんですが一応学校にも連絡したほうが良いのではと言われ、しかし私は学校の連絡先などわからず、唯一わかっていた部活の顧問の奥さんに連絡しました。
この方には部活のコーチとして普段からお世話になっていました。顧問や学校の連絡先は知らないのに奥さんだけ知っているのは変ですね。コーチは大会についてきてくれていたので帰りに事故にあったということで報告と、ついでに旦那さん(顧問)である先生経由で学校に報告してもらおうとしたのです。
私「もしもしお疲れ様です」
奥「おう、どした〜」
私「実は今交通事故に遭いまして」
奥「えっ!?!?大丈夫なの!?」
私「あ、はい大丈夫です。それで先生(旦那さん)に伝えてもらいたくて」
奥「ちょっと待ってね!」
電話越しに聞こえるザワザワ音。
大会終わりで顧問夫婦もどこかで外食かな〜。
奥「もしもし!今学校の飲み会中なんだけど本当に大丈夫なの!?」
私「え、はい大丈夫です」
ん????なんて????
なんとこの時、学校の教員全員は新学期の飲み会中だったのです。なんてことでしょう。そこに生徒から交通事故に遭いましたなんて連絡が入ったのです。
私の事故のことは一瞬で学校中の先生方に伝わりました。
後日知ってる先生に会うたび「お前車撥ねたんだってな?」と絡まれるようになってしまったのは別のお話。
救急車での移動、緊急性はなかったからかサイレンは鳴らしていませんでした。内側から聞いてみたかったな。音量とか確かめたかった。
病院に到着後、レントゲンで腕や足、頭蓋骨等を撮影し、医師の診断を受けた時
「こりゃ立派な骨だね、折れないわ」
半笑いで医師にそう言われこちらもまぁそうだろうなと自分の腕を見て思っているとふと小さな頃祖父にカルシウムの錠剤みたいなの飲めって言われて飲まされたのを思い出したり、ありがとうじいちゃん。
そんなこんなで病院での診断も終わりまた何か異常があったら来院するように言われ診断室を出ると私を撥ねた運転手の方と話すことに。
心底謝られましたが自分としてはどちらが悪いのかとかは全くわからなかったし、携帯等は無事だったので特に怒りはありませんでした。
それよりも学校の飲み会の最中に自分の事故が広まってしまったことや自転車が壊れてしまったことの方が重大で、明日からどうしようと考えていました。
その方はその道を2か月以上に一回しか通らないらしく、さらに今日ではなく、仕事の関係で急に経路を変更して移動していたのでした。
保険で今回破損したもの等は弁償してくれることになり一安心。
とにかく大事にならずによかったよかったと丸く済みましたとさ。
と、ここで振り返るとこの事故、たくさんの偶然が重なっていると思いませんか?
・雨で大会が中止になった
・延期日が受けたい授業の日だった
・その授業が受けられない代わりに先生が時間をとってくれた
・友人を送るためにバスを待った
・雨がまた降ってきてカッパを着た
・大きい道をとる時、曲がる車がたまたまいた
・撥ねた人はその時その道を通るはずではなかった
・撥ねられた時、自転車が全て受け止めてくれた
・地面が濡れていたおかげか吹き飛び方も運良く、対向車等に轢かれなかった
・連絡したら先生が飲み会中で一瞬で広まった
最後は冗談ですがここまで重なると、何かが違ったら私は死んでいたのでは無いかと思ってしまいました。本当に何もなくてよかった。
あ、鯵の三枚おろしの試験はこの日の練習のおかげで無事合格しました。
そして、これは事故の数日後。
私は交通安全のお守りに”身代わり守り”というものを買って家に置いてあるのですが、それを確認したら中に入っている木の板がぱっきり半分に割れていたのでした。